HUMAP  兵庫・アジア太平洋大学間ネットワーク Hyogo University Mobility in Asia and the Pacific

2023年度『受入』

  • 氏名:W.R. [ 中国 ]

  • 受入期間:2023年03月27日 ~ 2024年01月29日
  • 受入大学:甲南女子大学
  • 在籍大学:天津外国語大学


留学のきっかけ、目的

 2017年に大学に入学してから六年間日本語を勉強してきました。今は院生として日本語通訳に関する課題をしています。幼い頃から言語の勉強に趣味があって、ご縁で大学は日本語学科に入りました。学部時代、日中商品展覧会及び日中韓青少年運動会などの活動に通訳者として日本からのお客様や選手たちと交流し合ったことがあります。そして大学の日本語コーナーに参加して、日本人留学生と趣味を喋たり面白い個人ニュースをシェアしたりして、一緒に動物園にパンダを観たこともあります。もちろんどちらも取り替えられない楽しい思い出ですが、言葉の問題でコミュニケーションがうまくいかないこともあったので、さらに日本語の勉強を進めようと決心しました。大学院に進学してからは、日本語の精進を目指しながら、通訳における実用的な課題を研究するようになりました。また、日本語学に興味を持っていて、語用論に関連する分野での研究初期計画ができました。それで交換留学で日本に来た動機のひとつは、日本の図書館の資料を利用して、日本語の談話分析などの研究を行いたいことです。日本での一年間が実り多いものになるよう頑張ろうと思います。
 それに、日本への留学は私の念願でもありました。学部時代はコロナ禍で留学できなかったこと、M1の時は大学院の期間が短いので交換留学に期待できなかったことが悔やまれました。しかし、意外にもM2の初めの頃にこの貴重な機会をいただき、しばらく諦めていた夢が叶いました。「夢」と日本留学を呼ぶのは、実際に日本に行って体験することの大切さがわかるからです。長沙の某中学校で日本語趣味教室の教員を務めたことがあって、生徒に日本文化を紹介するコースがありましたが、私自身の知識もあくまで教科書やネット上の資料からまとめたものなので、自分が体験してから生き生きと伝えられる内容とは違うかもしれません。そこでその時、講義の内容をよく読み返して古びた部分を切り替えようと工夫を重ねました。それから、日系会社で日本語通訳を担当したこともあって、中国と日本のコミュニケーションスタイルの違いやそれに対応するスキルの必要性を深く理解することができました。日本語そのものを上達させるためにも、日本文化や日本人の考え方に触れるためにも、日本への留学は非常にありがたいことだと実感しています。
 卒業後は、日中間のビジネス交流に携わって、適切かつ効果的なコミュニケーションに役立てれば幸いだと思います。いずれにしても日本に留学することは私の人生の宝物です。この機会を大切にしたいと思います。

留学中の体験

あっという間に日本に来てから半年も過ごしてきました。日本を訪ねる前に、自分が六年間も日本語を勉強していたことにもかかわらず、ちゃんと日本の生活に慣れられるかどうかに心配もありました。でも実際に日本の町で住むと、あまり不慣れなところはありませんでした。掛け持ちで2つのアルバイトをして稼いだり(当然ながら留学生のアルバイト制限時間に過ぎていない)、神戸の他に大阪、京都、奈良、名古屋、東京、金沢、静岡などの色んなところに旅に行ってきたり、大学院の授業でいっぱい日本語でプレゼンテーションをしたり、また日本人友達とカフェ屋さんで和菓子を味わいたり、大好きな歌手さんのFCコンサートで前列で立ってファンサまでもらったり、淀川花火大会でトップクラスの花火パフォーマンスを楽しむ夢を叶ったり…などなどして、本当にこれまで多くの素晴らしい思い出ができました。その他、日々の活動以外に、現地の留学生向けのインターンシッププロジェクトにも参加させていただきました。とある観光会社さんで5日間のインターンをさせていただいて日本会社の勤務実態に触れるきっかけにもなりましてとても貴重な経験でした。交換大学からも様々な国際交流活動のお知らせが来ていて、先生方にたくさんお世話になりましてとても感謝しています。とにかく振り返ってみると本当にたくさんの活動に加わることができて非常にありがたく思います。
当たり前のことに、日本には母国と違うところも多くあります。でも違和感を覚えることより、新たな体験になるのでいつも新鮮味が湧いてきます。例えば中国では街を通る路面電車はあまりなくて、都市での交通機関は地下鉄かバスぐらいですが、日本の皆さんはほぼ毎日電車を利用してて電車にもう「ただのもんじゃー」という感じに対して、自分には最初に電車が走ってる軌道の両側の踏切まで記念写真を撮らずにはいられなかったほどの斬新感でした。もちろん来日する前に日本ドラマで路面電車とか見たことがありましたが、やっぱり電車がリアルに自分の目の前に走ってる様子の方はインパクトがあります。「非日常は、日常になる」。これは通っている交換大学のPR動画で現れた幻っぽい一言ですが、今はまさに現実になっていて、幸せの至りです。
これからはまた神戸で3ヶ月半ほど滞在していけると思いますが、神戸暮らしを隅から隅まで楽しんでいきたいと思います。自分的には、日本の町並みの雰囲気がいつもしっとりと落ち着いていて、公園じゃなくても散策に優しいところがいっぱいある気がします。海にも近くて気持ちが清々しくて、近くでも遠くでも、夕暮れに海を見渡せば、紺碧の海に対して、空は珊瑚色のグラデーションを育んで、また桜色の雲霞を華々しく咲き誇らせています。この光景にいつに出会っても、当初、自分がなぜ世界にあんなにも純粋で素朴な期待と熱情を抱いていたのかを、じんわりと思い起こさせてくれます。

留学の成果、将来の目標

 去年の3月末から今まで約一年間が過ぎました。この一年間を振り返ってみると、かなり濃厚な時間だったと思います。いろんな場所に旅行したほか、西宮の春桜と嵐山の紅葉、淀川の夏季花火大会も見逃せずに満喫しました。そして掛け持ちでコンビニのバイトとカフェ屋のバイトをしていつも周りに信頼されていたことにも感謝しています。今年の一月末にバイトを辞めましたが、オーナーさんと店長さんからプレゼントをもらって暖かく感じています。大阪で単発のバイトもしてみましたが相変わらずに周りの日本人店員さんに色々お世話になりまして順調に販売の仕事を終えました。朗らかでぽかぽかに感じる関西の風土が大好きです。
 実に、日本での就職も決めました。でも就職先が決まるまでに色んなエピソードがありました。交換留学の前からネットで日本の求人情報を探したり説明会を聞いたりして「人生で初めての仕事は日本で決めたらいいな」と思いながら就活に精一杯頑張っていました。しかし、ようやく書類選考に合格してからもらった面接のチャンスで、「目標を立てたらなんでも全力投球します」と、ベストを尽くして自己アピールをしても、結局落選してしまった経験は何回もあります。やはり自分の日本語力とビジネス能力が遠くに足りないなと実感しました。交換留学の残った時間もだんだん少なくなってきたので、このまま帰国して就職してもいいかと、しばらく日本での就活を諦めた頃はありました。
 日本就活を辞めようと思った時、自然に就職の目線が中国国内に転じました。しかし日本語が活かせる仕事を探した際、通訳関連の仕事しか連絡が来なくて「日本語+ビジネス」の就職先がないかなと迷いました。しかもマーケティングのような仕事の求人情報で日本語が求められるケースはそれほど多くないので悔しかったです。英語でもいけますが、このまま6年間以上勉強してきた大好きな日本語をこのまま生活で活用できなくなるのは非常に残念なことではないかと考えます。中国の大卒と院卒の就職難に加わって、面接の請求が何社から来てもどこかでモヤモヤすると感じる仕事ばかりなので一旦放置しました。
 これは去年9月ごろの話だったんです。気持ちが曇りだった私は、一人で鳥取旅行に行ってきました。自転車を一台借りて鳥取駅から鳥取砂丘まで漕ぎました。神戸みたいな賑やかな町に対して、鳥取の小路が静かすぎて、人の気配が薄くて香る草木だけが道を彩っているような、少し寂しげな気分でした。でも生まれてからずっと混雑な都市部で育ってきた私は、なぜかこの光景を見るとすごく安心感がありました。のんびりと町のあちこちに通り抜けて、いつの間にか正面からやってくる人が増えてきて、みんなは鳥取砂丘の方から歩いてきたのでしょう。
 「鳥取といえば鳥取砂丘」と言われていますが、私は行く前から鳥取観光は鳥取砂丘だけではないと思う派です。でも現地に鳥取砂丘に行ってみれば、確かに自分の心はしっかりと癒されました。カリカリした砂丘の頂上に登るよう靴に砂がたくさん入ってしまいましたが、広々と広がる日本海の絶景を見たら確実に来た甲斐があると思いました。内陸部で育てていたので海がいつも私を引いていて、柔らかな砂に腰を掛けて2時間も海を眺めました。打ち寄せてきた大波が一瞬に砂の海岸線に砕かれて、海鳴りが底から上がってきて真っ白な潮煙を育みました。ただ美しい泡沫は長く生きず、瞬く間に引き波とともに紺碧の奥まで隠していきました。このように、私は静かに海を眺める時間がモダン社会で非常に貴重なものだと知りながら、目にあたる風景を存分味わいました。
 帰り道で、自分は若い頃に何を求めているのかについて考え直しました。環境的には、思いのまま休みの日に、ぶらぶらと一人でも心から楽しめる恬静な何処かに行ける場所が欲しいです。また、日頃の団地で威厳なコンクリートの高い建物が少ない場所が欲しいです。近くに混んでいない海岸がある場所が欲しいです。この思いで、心のどこかで日本就職の思惑が再び上がってきました。
 そこで、また色々な選考を経って、ようやく東京のある会社の内定をもらいました。日本の商社の内定をもらうまで困難を数多く乗り越えてきた一番大きなモチベーションは、まだ日本で何年間を過ごしたいという強い気持ちです。この交換留学の充実な一年間は、まさに自分の気持ちを確かめました。この一年間で、お金的に私を支えていただいたHUMAPの方、そしてお世話になった学校の先生の方、バイト先の店長の方、ここでできた友達の方、全てに深く感謝の意を表したいと思います。一年間は何十年もの人生で長くないですが、こんなに充実な暮らしは珍しいではないかと思うから、これからもこの1年間の思い出をずっと大切にしていきたい思います。